僕が子供の頃って、保育園は幼稚園に行けない子供が行くところだと思ってた。お母さんが働かなければならない家庭の子なんだって理解してた。(1970年代の話です。)
小学校に入ってからも、共働きの子は「鍵っ子」っていう言われ方をして、ニュースやドラマなんかで使われてた気がする。さすがに子どもたち同士の会話では使った記憶はないんだけど、意味はわかってた。
共働きっていう言葉は自分の中ではかなりネガティブな言葉だったな。
でも、不思議な事に、お母さんが女医さんの友達については共働きしてる家庭の子だっていう認識はなかった。今考えると子供がおかれている状況は同じなのに、なんで別物だって認識してたんだろうな。
「働かなきゃいけない」か「働きたい」の違い?
子供心に、そこにはその家庭の経済的な事情が関係してるってわかってたんだろうね。
いずれにしろ、共働きの家庭でも祖父母が家で待っている家庭がほとんどだったので、ランドセルに家の鍵を紐で括りつけていた本物の「鍵っ子」は僕の友人では1人しかいなかった。当然といえば当然なんだけど家に帰りたがらない奴だったんで下校時間ギリギリまでよく一緒に遊んだ。
子供の頃、たまたま母親も祖母も外出の予定があって鍵を持たされ学校に行く時などは、「家の鍵」を持ってる自分がなんだかちょこっと大人になった気がしてうれしかったものだ。
でも、家に帰ってきて「ただいま」と言っても誰も答えてくれないときは寂しかったな。人の気配が一切ない部屋の中の空気は、なんだかとても冷たく感じて嫌だった。
大人になってからも同じで、今でも誰もいない家に帰るのはイヤだ。おっさんになっても、大人になりきれない寂しん坊ですね。
専業主婦は希少種になっちまうのかな
この分野の統計とかは見てないので良くわからないけど、待機児童のことがここ何年も何年も問題になってるってことは、僕が子供の頃に比べて、共働きで核家族な家庭が格段に増加してるんだろうね。ちょっと、あまりに無責任なんで調べてみたところ、10年前の資料にこんなのがありました。
ざっくりなところでは、概ね感覚は当たっているみたいだ。
一番最近の白書はこっちですね。この資料は、収入別とか雇用形態別の未婚率とか出てて、かなりドキッとするグラフもありますね。
待機児童数の推移なんかもあるね。一応、年々減少してるんだね。もっとも、保育所に入れなかった人にしてみたらマクロの数値が減少していたからといって、ふざけんな!って思うのは当然だよね。
専業主婦って、今の時代はなんだかいろんな方向からイヤな響きとともに語られることが多くなってるような感じを受けるんだけど、子供がいる家庭にとっては掛け値無しに大切な仕事なんじゃないんだろうかな。なんだか、そういうものが減っていってしまう社会構造がとても残念だ。
もちろん働きたいと思って働く女性はそれでいいと思うし、応援したいです。実際、僕の会社でもお客さまから一番の信頼を得ているのは女性だし、夢ばっかり語っている若い男性よりもよっぽど売上げに貢献してます。
ただの感想文でした
なんだか、思ったことをダラダラ書いていて提案とか結論とかカケラも無いんだけど、自分の子供達がそれぞれ結婚して子供を持ったときには、子供が「ただいま!」って言いながら帰ってこれる家庭を築いて欲しいなぁと思うんだよね。
おしまい。